出典: https://makoto-sagashi.com/2022/09/1087/
このページは、「『誠』を探す」とはいったいどういうことか?と、興味を寄せてくださった方に向けて整理したものです。
私(ぬまた、以下同)がどんなことを考えてきて、これから何をしようとしているかをお伝えさせてください。そのうえで賛同いただけるなら、あなたのお力と知恵を貸していただきたいです。
やや長文になりますがお付き合いください(太字だけ読んでいただければ大筋はお伝えできるはずです)。
「まことさがし」の由来
中高の校訓「誠」
僕が通った早稲田中高の校訓が「誠」でした。入学当初にこの一語の大切さが何度も強調されるのですが、肝心の「『誠』って何なの?」との問いには誰も答えてくれません。ただ、あるOBの先生の「私は卒業時に意味が分かった」という言葉を聞いて、明確な答え(=正解)があるのだと思い込んだ僕は、それを早く知りたくて中高の学校生活の中で「誠」を探し始めました。
誠についての仮説
中学1年生の僕は、素直に「嘘をつかないこと」だろうと思いました。
しかし、すぐに正直に話してしまったために他人を傷つけてしまう場面を経験します。いつでも正しいといえないのなら「誠」ではない。そう考えた僕は代わりの定義を考えては実践することを繰り返します。
でも、高校卒業までに納得できるような答えは見つかりませんでした。例えば、「悪意を持たない」ことでも相手にとっては迷惑なことかもしれないし、「言行一致」していたら何をしてもよいわけではないだろうし、といった具合でいつまでも結論にたどり着かないのです。
わからないまま卒業式を迎えてしまったので、無念さを紛らわすように「『誠』が何かわからなかったけれど、問い続けたことにはきっと意味があったはず。わからないなりに日常の各場面で『誠』に近いと感じる選択肢を選んできたのだから、それでよかったのだ」と自分に言い聞かせて正当化しました。
「善」とは何か
あらためて振り返ると、中高6年間での「誠」に関する問いは、「『善』とは何か」という問いに行き着いてしまったせいである地点から先にもやがかかってしまったのだと整理できました。
そこで、寄り道して「善」について考えることにしました。
ただ、すでに「正義の反対はまた別の正義」のようなフレーズは言い古されたように感じられ、同じような相対主義的(≒人それぞれ)結論にいたってしまいそうな気がしたので、あえて 「思想や背景が違っていても、共有できる価値観としての(≒普遍的な)『善』はあるか」 という問いを立てました。
善についての仮説(=回答)
まず、「善」も「誠」と同じようにこれこそが答えだと結論づけることはできないでしょう。それでも僕は考え続けたいという立場です。そのうえで、「思想や背景が違っていても、共有できる価値観としての『善』」と呼べるのではないかと考えた僕の仮説がいまのところ3つあります。
- 問い続けること
つまり、思考停止しないことです。わからなくても、わかろうとすることと言いかえることもできるかもしれません。 - 回答すること
一回きりの「問い」で終わらずに「問い"続ける"」ためには、一つ一つの問いに対して自分なりの回答(→仮説や実践)をする必要があると考えました。回答は正解である必要はないけれども、「私はこう考えた」と表明することが次の問いを用意します。 - 辿れること
どのような考えのもと回答をしたのか、その道筋をしっかりと言葉で辿れるようにしておくこと。これも広く善と呼べるのではないでしょうか。そのようにしておけば、主張を変えようともその過程を後に検証することができますし、判断材料を未来に残すことができます。
実践
社会に出て仕事を始めるタイミングであらためて「誠」への問いに戻ることにしました。
中高〜大学までは頭の中で考えているだけで、これは確かに必要な時間だったけれども、卒業後は現場に立ち他人との対話や活動を通じて問い続けようと考えました。この選択も一つの回答です。
なお「善」についての3つの仮説は、自分の中で問いを持ち、回答することを繰り返し、それらを辿れるように記録するといういまの自分の目指すあり方の根っことなっています。
誠とは何か? 2022年4月時点での回答
あらゆる格差はゼロにならないかもしれない。それでも何かしらの点で恵まれた者がその境遇を自覚し、自己の利害を超えて全体最適を考える責任を引き受ける人間のあり方が「誠」ではないか。
これが現時点での「誠」についての回答です。
ただ、上の回答にいたる経緯を言語化して辿れるようにできるまではもう少し時間をください。
一つだけはっきりしていることは、今までの友人や周りの環境のおかげで自分が存在していること。周りの環境との関係性の中で人間は存在するのだから、全くの自己責任はありえないと考えています。
でも、だからといって(運も含めた)格差をゼロにすることはできない。それならば、恵まれたと自覚する者が全体最適への責任を引き受けるしかないのではないか。ただし、この「道徳」自体、押し付けの規範にならないように自ら引き受ける形しかとれません。
「まことさがし」のこれから
- Step 1生まれ育った土地を愛する人と共に暮らし、対話をする。
- Step 2生活に関わる問題を現場から見つめる。
- Step 3生まれた環境が行く末を固定しない社会のために考え、行動する。
いまはまだ最初のステップです。対話が生まれることが当面の目標ですが、その大前提として 「思想も背景も異なる複数の人々がともにいる」ことが必要 です。だから、ただ居てくれるだけでありがたいのはこれからもずっと変わりありません。
ところで、これまでにあり方の話を続けてきて「何をするか」が抜けているように感じるかもしれません。というのも、「何」の優先度は後にしています。目的とあり方がはっきりしていて一貫していればよく、そこから「何」が生まれると考えているからです。
とはいえ、「何」にかかわる問題意識・問いは共有すべきだと思いますので、こちらも別の機会に共有させていただきます。